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昭和の催眠ブームとオカルトの境界線

昭和時代、とくに1960年代から80年代にかけて、日本では「催眠術」が一種のブームとなっていた時期がありました。
テレビ、雑誌、舞台、漫画、学校の遊びまで、あらゆる場所で「催眠」が話題になっていたのです。
しかしこのブームは、同時に「催眠術」と「オカルト」の境界線を曖昧にしていきました。
今なお、その名残は世間の催眠イメージに色濃く残っています。
 
昭和の催眠ブームは、いくつかのメディアの影響によって一気に広まりました。
1950〜60年代、日本でもテレビが家庭に普及し、娯楽としての「催眠ショー」が番組企画として頻繁に登場しました。
たとえば、有名人が催眠にかかって動けなくなったり、猫の鳴き声しか出せなくなるといった「笑い」を引き出す演出が大ウケし、視聴者の関心を集めました。
 
また、当時の雑誌や学研のような学習教材でも、「催眠術のかけ方」や「超能力との違い」などが特集され、子どもたちの間でも“遊びの延長線”として催眠ごっこが広まりました。
「10数えると眠くなる」といったフレーズが、テレビの真似事として教室で使われるほど、催眠は日常に入り込んでいたのです。
 
一方で、この頃から「オカルト」との融合が進んでいきます。
1970年代、日本でオカルトブームが到来します。
ユリ・ゲラーのスプーン曲げ、心霊写真、霊視、超能力、前世療法といったテーマが、テレビでも大きく取り上げられました。
その流れの中で、催眠術も「超常的な力」「人の意識を自在に操る魔法」として紹介されるようになっていきます。
 
たとえば、催眠術師と称する人物が、テレビでタレントに「過去世(前世)」を語らせたり、催眠で記憶を操作するようなパフォーマンスを行うケースも登場しました。
これは催眠療法の一種である「年齢退行」や「前世療法」に近いアプローチでしたが、演出の都合もあって“科学”ではなく“霊的な体験”として放送されることが多かったのです。
 
さらに悪影響を与えたのが、「催眠術師=怪しい」「何でも操れる危険な存在」というレッテルです。
これは昭和の見世物小屋や新興宗教との接点でも強化されていきました。
一部の団体が催眠を“信者獲得”のツールとして用いたこともあり、「洗脳=催眠術」というイメージが社会的に定着してしまいます。
 
このような歴史的背景から、現代においても「催眠術って怪しくない?」「洗脳されるんじゃないの?」というイメージが根強く残っているのです。
 
実際の催眠術は、暗示やイメージの力を使って、人の集中や感受性を高める心理技術であり、オカルトとは一線を画します。
しかし昭和の大衆文化の中では、その線引きが明確に示されないまま、混同されたまま広まっていったのです。
 
私たち催眠術師は、こうした歴史的背景を踏まえた上で、あえて言葉を選び、あえて説明を重ねていく必要があります。
催眠が「魔法」ではなく、「人間の意識に根ざした技術」であること。
それを正しく伝え直すことが、昭和のブームが遺した“負の遺産”を超える第一歩になるのかもしれません。