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花咲かじいさんに隠された暗示構造と「力は選ばれた人しか使ってはいけない」という刷り込み

花咲かじいさんは、日本昔話の中でも、とても明るく、分かりやすい物語として知られています

正直なおじいさんが報われ、欲深いおじいさんが失敗する。
悪いことをすれば罰が当たり、良いことをすれば幸せになる。
一見すると、安心できる教訓話です。
しかし、この物語を構造として見ていくと、非常に特徴的で、そして強力な暗示が仕込まれていることが分かります。
花咲かじいさんは、努力の物語ではありません。
工夫の物語でもありません。
この話の本質は、
「同じ力でも、使っていい人と使ってはいけない人がいる」
という判断を、無意識に固定する点にあります。
本稿では、花咲かじいさんに仕込まれた暗示構造を丁寧に分解し、それがどのように判断力や行動範囲に影響するのかを解説します。
善悪の話ではありません。
文化を否定する話でもありません。
無意識で何が起きているのか、その構造の話です。

 
まず、物語の中心となる存在は犬です。
この犬は、普通の犬ではありません。
宝のありかを示し、奇跡を起こす力を持っています。
しかし重要なのは、その力が「誰でも使えるもの」として描かれていない点です。
犬は、正直なおじいさんのもとでのみ、その力を発揮します。
同じ犬。
同じ能力。
同じ行動。
それでも、結果はまったく違います。
ここで無意識は、最初の学習をします。
能力そのものよりも、使う人の人格が重要。
力は中立ではない。
使う資格がある人と、ない人がいる。
これは非常に強い前提です。
次に、欲深いおじいさんの行動です。
欲深いおじいさんは、同じように犬を使い、宝を得ようとします。
しかし結果は失敗。
宝ではなく、ゴミや汚物が出てきます。
この構造で重要なのは、方法が間違っていたのではない点です。
同じことをしています。
同じ指示。
同じ行為。
それでも、結果が変わる。
つまり、無意識はこう学びます。
やり方ではない。
努力でもない。
正しさは、行為の前に決まっている。
この暗示は、非常に扱いやすい心理状態を作ります。
なぜなら、行動を評価する必要がなくなるからです。
人格で判断すればいい。
誰がやったかで決まる。
自分が使っていい側かどうかを、常に気にするようになります。
次に、犬が殺される場面です。
欲深いおじいさんは、失敗した結果、犬を殺してしまいます。
ここで重要なのは、怒りや暴力の是非ではありません。
犬が「力の象徴」として扱われている点です。
力を正しく使えなかった者は、その力を失う。
むしろ、失わせてよい。
この構造は、力を持つこと自体に恐怖を結びつけます。
失敗すると、力は奪われる。
下手に使うと、取り上げられる。
だから、最初から使わない方が安全。
こうして、行動する前のブレーキが強化されます。
次に、灰の登場です。
殺された犬の遺灰をまくことで、花が咲く。
ここでも、奇跡は起きます。
しかしこの奇跡も、誰にでも起きるわけではありません。
正直なおじいさんがまくと、花が咲く。
欲深いおじいさんがまくと、花は咲かず、迷惑をかけます。
再び、同じ構造が繰り返されます。
力は中立ではない。
正しい人にしか応えない。
方法は関係ない。
人格がすべて。
この繰り返しが、暗示を強固にします。
無意識は、何度も同じ学習をします。
自分が正しい人間でなければ、何をやっても無駄。
下手に真似をすると、恥をかく。
罰を受ける。
ここで判断基準は完全に外部化されます。
次に注目すべきは、殿様の存在です。
殿様は、花咲かじいさんの行為を見て褒めます。
褒美を与えます。
ここで、最終的な評価者が登場します。
正しいかどうかを決めるのは、権威です。
自分で判断する必要はありません。
殿様が認めれば正しい。
認められなければ間違い。
この構造は、判断力を完全に外に預けます。
自分の中の基準ではなく、外の承認が正義を決める。
無意識は、こう学習します。
自分で正しいと思っても意味がない。
偉い人に認められなければ、価値はない。
これにより、行動の動機は内側から外側へ移動します。
やりたいからやる。
ではなく、
認められるからやる。
怒られないからやる。
褒められるからやる。
この切り替えは、非常に大きな影響を持ちます。
次に重要なのは、物語全体を通して「努力」がほとんど描かれていない点です。
花は咲きますが、育てていません。
宝は出ますが、掘っていません。
工夫や試行錯誤はありません。
あるのは、行為と結果の直結です。
これは、無意識にこう残ります。
努力は重要ではない。
正しい側にいれば、結果は勝手についてくる。
逆に、正しくなければ、何をしても無駄。
これは、一見すると安心できる考え方です。
しかし同時に、非常に強い無力感も生みます。
自分は正しい側だろうか。
資格があるだろうか。
間違った側ではないだろうか。
この問いが、常に行動の前に立ちはだかります。
結果として、人は挑戦を避けます。
失敗が怖いのではありません。
「使ってはいけない側」だと証明されるのが怖い。
これが、この物語が持つ最も深い暗示です。
最後に、結末です。
正直なおじいさんは幸せになります。
欲深いおじいさんは、惨めなままです。
救済はありません。
学び直しもありません。
変化の余地もありません。
これは、人格が固定されているという暗示です。
人は変われない。
最初から決まっている。
正しい人は正しく。
間違った人は間違ったまま。
この固定観念は、自己変革を非常に難しくします。
 

花咲かじいさんに仕込まれている催眠暗示を整理する

力は中立ではない。
使っていい人と、使ってはいけない人がいる。
方法や努力より、人格が結果を決める。
失敗すると、力は奪われる。
権威が正しさを決める。
正しい側にいれば、結果は自動的に出る。
人は簡単には変われない。
これらはすべて、
行動よりも立場。
判断よりも承認。
内的基準よりも外的評価。
を優先させる暗示構造です。
花咲かじいさんは、明るい物語です。
しかし同時に、非常に強力な制限装置でもあります。
この話を否定する必要はありません。
大切なのは、構造を知ることです。
構造を知れば、力は資格制ではなく、使い方の問題だと気づけます。
花咲かじいさんは、過去の話ではありません。
今もなお、
自分にはその力を使う資格があるのか。
と、私たちの無意識に問い続けている物語です。